福岡高等裁判所 平成11年(人ナ)4号 判決
請求者 甲野花子
右代理人弁護士 原田直子
拘束者 甲野太郎
右代理人弁護士 椛島修
被拘束者 甲野一郎
右代理人弁護士 下東信三
主文
一 被拘束者甲野一郎を釈放し、請求者に引き渡す。
二 手続費用は拘束者の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 請求者
主文同旨
二 拘束者
1 請求者の請求を棄却する。
2 被拘束者甲野一郎を拘束者に引き渡す。
3 手続費用は請求者の負担とする。
第二事案の概要
本件は、請求者(妻)の申立てに基づく離婚調停において、請求者と拘束者(夫)との間で、請求者の監護する被拘束者(長男)との面接についての合意をし、これを実行していたところ、拘束者が右合意に反して被拘束者を請求者の許に返さず、拘束を続けているとして、人身保護法に基づき、被拘束者の引渡しを求めた事案である。
一 前提となる事実
末尾掲記の疎明及び審問の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
1 請求者(昭和三八年三月二三日生)と拘束者(昭和三五年七月一二日生)は、平成七年八月一八日に婚姻した夫婦であり、被拘束者(平成八年二月二一日生)は、両者の間に生まれた長男である(甲一)。
2 拘束者は、陸上自衛官であり、被拘束者が生まれる当時、北海道空知郡上富良野町所在の部隊に勤務し、同町内の官舎において請求者と生活していた。ところが、拘束者が趣味のパチンコや飲酒により帰宅が遅くなることなどがあって、これを嫌う請求者との間に、次第に不和が生じるようになった。
被拘束者が生まれた後の平成八年五月、拘束者が請求者に黙って銀行から借入れをしていたことが発覚し、これまでの経緯もあって喧嘩となり、請求者は、被拘束者を連れて福岡県久留米市にある実家に帰った。その後、請求者は、周囲の勧めなどもあり、同年七月になって、被拘束者とともに上富良野町の拘束者方に一旦戻りはしたが、依然として請求者と拘束者との不和は解消されず、ついに、請求者は、離婚を決意し、平成九年三月二九日、被拘束者を連れてその実家に戻り、以後、拘束者と別居している(甲三、六、乙一〇、拘束者)。
3 請求者と拘束者は、平成九年四月、福岡県久留米市の拘束者の実家において、請求者の母太田キリコ(以下「キリコ」という。)、拘束者の父甲野始、母ゆり子らを交えて話し合った結果、拘束者が九州の勤務地に異動するまでの間は、このまま別居を続けて請求者が被拘束者を監護することなどを合意した。拘束者は、生活費として毎月一定額を請求者に送金し、盆、暮れなどで帰省した折には請求者や被拘束者と会い、また、請求者も、平成一〇年二月ころまでは、被拘束者を連れて拘束者の実家を訪ねるなどしていたが、拘束者の父の言動に感情を害し、拘束者の実家を訪ねなくなった(甲一、三、六、乙五、一〇、拘束者)。
4 拘束者は、平成一〇年八月、陸上自衛隊久留米駐屯地に異動となったが、別居の解消について請求者と折り合いがつかず、単身実家に戻り両親と同居することとなった。その後、請求者の伯父太田実が両者の仲介に入ったが功を奏さず、請求者、拘束者、被拘束者の同居は実現しないでいた。しかし、それでも、拘束者は、しばらくは毎日のように請求者の実家を訪ねて被拘束者を連れ出し、自らの実家で風呂に入れたりしてともに過ごした後、請求者の許に送り届けるなどしていた。ところが、この事態を煩しく思った請求者が、同月一七日から拘束者が被拘束者を連れ出すのを拒むようになった。このようにして、拘束者は、これまでのようには被拘束者と会えなくなったことから、同月二二日朝、請求者の実家に赴いて被拘束者を自らの実家に連れ帰り、そのまま同児と生活するようになった。このため、請求者は、その夜すぐに、拘束者に対し、被拘束者を返すよう掛け合ったが、応じられなかった。
かくして請求者は、平成一〇年八月二四日、福岡家庭裁判所久留米支部に離婚調停を申し立てる一方で(以下「本件調停」という。)、拘束者が被拘束者を返そうとしないので、同年一〇月九日、キリコとともに拘束者の実家に赴き、玄関に拘束者の母と出てきた被拘束者を抱きとり連れ戻した。請求者は、拘束者が被拘束者を再び連れ出すことを危惧して、その後しばらくの間、被拘束者を連れて旅館等を転々としていたため、拘束者は、同人らの所在を知ることができなかった(甲三、六、乙二、七の1、2、一〇、請求者、拘束者)。
5 本件調停の第一回期日(平成一〇年一〇月二六日)において、請求者は、離婚と被拘束者の親権者を請求者と定めること及び婚姻費用の支払を求め、拘束者は、夫婦関係の修復と被拘束者との面接を求めた。席上、被拘束者との面接回数について、請求者がこれを週一回にとどめたいとするのに対し、拘束者がより多くの面接を求めたが、調停委員の説得により、両者は、当分の間、請求者が被拘束者を監護するが、面接については被拘束者が週三日(二泊三日)を拘束者方で過ごす方法により、拘束者と被拘束者とが面接する旨合意した(以下「本件合意」という。)。以後、互いに被拘束者を送迎するなどして、後記6のとおりの事態となるまで、この合意は滞りなく実行された(なお、拘束者は、右合意は次回調停期日までの間の面接実施について取り決めたに過ぎない限定的なものであったと供述するが、請求者との間でその旨が確認されたことを認めるに足りる疎明はない。)。
その後の調停期日(第二回は平成一〇年一一月一六日、第三回は同年一二月一四日)では、婚姻費用の分担と拘束者が離婚に応ずるか否かの点がもっぱら話題となり、いずれが被拘束者の親権者となるかについてまでは話が及ばなかった。請求者は、第三回期日においても婚姻費用の分担額が決まらなかったことなどから、調停では解決することができないものと考え、第四回期日(平成一一年一月一四日)を待つことなく、即日本件調停を取り下げ、平成一一年一月二〇日、福岡地方裁判所久留米支部に離婚等を求める訴えを提起した(同裁判所同年(タ)第一号。以下「本件訴訟」という。)。しかし、拘束者は、本件調停取下げ後も、また本件訴訟提起後も、本件合意に従って被拘束者との面接を続け、請求者もこれに協力していた(甲二、三、五、乙二、一〇、請求者、拘束者)。
6 拘束者は、平成一一年三月一九日、請求者から被拘束者を受け取り、二泊三日をともに過ごした後、本件合意に従い、同月二一日夜、車で被拘束者を請求者の実家に送り届けようとしたところ、いつもは車を入れて駐車できるようにしている請求者方のガレージが施錠されていたことから、一旦実家に戻って請求者の伯父に電話をかけ、ガレージを開けるよう請求者に伝言を頼んだ。そして、改めて被拘束者を連れ、請求者方に赴いたが、ガレージは閉まったままであったため、これを拘束者に対してはともかく被拘束者に対する愛情が足りない仕打ちであると思った拘束者は、急に被拘束者を返す気をなくし、そのまま被拘束者を伴い実家に戻った。
請求者は、翌日以降、拘束者の職場に電話をかけ、また、離婚訴訟の請求者の代理人である中園勝人弁護士を通じて、被拘束者を返すよう求めた。これに対し、拘束者は、弁護士と相談すると答えるにとどまり、その後も被拘束者を請求者の許に返すことはなく、実家において養育監護を続けている(甲二、三、七、乙一一、請求者、拘束者)。
7 福岡地方裁判所久留米支部は、本件訴訟につき、平成一一年七月一三日、<1>請求者と拘束者を離婚し、<2>被拘束者の親権者を拘束者と定める旨と、<3>拘束者に対し、慰謝料として二五〇万円及び遅延損害金の支払を命ずる旨の判決を言い渡した。双方ともこれを不服として控訴し(当裁判所同年(ネ)第七三九号)、請求者は、同年八月一三日、被拘束者の引渡しを求めて、本件人身保護の請求をした(甲二)。
8 請求者は、母キリコと同人所有の肩書住所地の実家で同居しているが、現在無職であり、生活費は請求者の預金とキリコの年金により賄っている。キリコは、平成八年六月ころから老人性妄想症の診断を受け、通院して服薬治療を続けているが、それはそれにとどまり、その健康状態に特段の問題は認められない。また、請求者の拘束者に対する不信感は強く、復縁の意思はない。
拘束者(二等陸曹)は、陸上自衛隊久留米駐屯所に勤務し、肩書住所地の実家において、両親及び被拘束者と生活している。拘束者も請求者に対して不信感を抱いており、キリコの健康状態に不安を感じている。なお、拘束者方における被拘束者(三歳)の養育監護には、特段の問題は認められない(甲三、四の1ないし4、七、乙一ないし三、一一、請求者、拘束者)。
二 当事者の主張
1 請求者
(一) 拘束者は、本件調停中に形成された本件合意に反して、被拘束者を請求者の許に返さず拘束を続けており、その違法性は顕著である。
(二) 請求者は、これまで被拘束者を養育監護しており、同居している母親の協力も期待することができる。また、母親の健康状態も、服薬により安定しており、何ら問題はない。これに対し、拘束者は、パチンコや飲酒による浪費癖があり、暴力を振るうことがある上、これまで被拘束者の養育に関心を示さず、ほとんど関わりを持とうとしなかったことから、被拘束者の養育監護には明らかに不適任である。
したがって、被拘束者の保護環境は、請求者の方が優れている。
2 拘束者
(一) 拘束者は、実力を用いて被拘束者を奪ったわけではなく、本件合意に従った期日に同児を請求者の許に返さなかったにすぎないから、その違法性が顕著ということはできない。
(二) 拘束者は、両親とも健康であり、経済力にも問題はない。他方、キリコは精神病を患って通院中であり、被拘束者の養育上好ましくないところ、本件訴訟の第一審判決は、この点を十分に踏まえた上で、被拘束者の親権者を拘束者と指定したものである。しかるに、本件人身保護請求は、右判決の趣旨を損なうばかりでなく、これに対する実質的上訴を認めることとなり、非常応急的な救済手続を定める人身保護法の制度趣旨を超えるものである。
(三) 被拘束者は、拘束者方で既に八か月以上安定した生活を送っているところ、同児を請求者に引き渡すことは、その環境を一変させることとなり、養育上好ましくないばかりか、同児の利益を損なうものである。
第三当裁判所の判断
一 前記第二の一の事実関係に基づき、拘束者の被拘束者に対する拘束の違法性について判断する。
右事実関係によれば、請求者と拘束者は、本件調停期日において、調停委員の説得を受け、その当時請求者が監護していた被拘束者を週三日間(二泊三日)の限度で拘束者と面接させる旨の本件合意をし、以後、本件調停係属中はもとより、これが取り下げられ、別に本件訴訟が提起された後も、拘束者は、本件合意のとおりに被拘束者と面接し、請求者もこれに協力し、この状況がおよそ五か月続いたことが明らかである。そうすると、本件合意は、確かに本件調停の席上で成立した合意であって、この調停申立ても後に取り下げられることになりはしたものの、右の双方の面接実施の経緯及び合意の内容が双方の生活状況に照らしそれなりの期間相当性を保持し得るものと評価でき、一方に偏重しているとは認め難いことにかんがみると、本件調停が係属中に限って双方を拘束するものではなく、それを超えて、双方で改めて別の合意がなされるか、あるいは本件訴訟などにおいて裁判上の解決がみられるまでの間、双方を拘束するものとして合意されたと解するのが相当である。
しかるに、拘束者は、請求者のやや配慮を欠いたとみられないではない態度に触発されたとはいえ、被拘束者を自己の許に留め置き、同児を返すよう求める請求者の意向を拒絶したのであって、これが本件合意に反することはあまりに明白であり、しかも本件合意を実行することによって築かれたであろう信頼関係を著しく損なうものというべきである。そして、本件においては、請求者が被拘束者を監護することが、拘束者において同児を監護することと比較して、子の福祉の観点から著しく不当であることを窺わせる事情を認めることもできない。
そうすると、本件については、拘束者による被拘束者に対する拘束には、法律上正当な手続によらない顕著な違法性があると認めるのが相当である。なお、請求者の提起した本件訴訟においては、請求者と拘束者を離婚し、被拘束者の親権者を拘束者と定める旨の第一審判決が言い渡されたことは前記のとおりであるが、この控訴事件は、現在、当裁判所に係属中であり、未だ確定したものではないから、右第一審判決の結論は、右判断を左右するものではない。
二 以上によれば、請求者の拘束者に対する本件人身保護請求は理由があるから、これを認容して、被拘束者甲野一郎を釈放することとし、同児が幼児であることにかんがみ、人身保護規則三七条を適用して、これを請求者に引き渡すこととし、手続費用の負担について人身保護法一七条、人身保護規則四六条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 近藤敬夫 裁判官 長久保尚善 裁判官 石川恭司)